2016-12-08 第192回国会 参議院 法務委員会 第13号
これはまた、まさに島崎藤村の「破戒」の世界なんですよね。全く知らずに、みんな秀でて立派な方だと思っていたけれども、そういう出自だと言った瞬間からいわれなき差別に遭ってしまう、しかしそれを乗り越えていくという話なんですが、今日においてもやっぱりそういうところは非常に重要なところだと思います。
これはまた、まさに島崎藤村の「破戒」の世界なんですよね。全く知らずに、みんな秀でて立派な方だと思っていたけれども、そういう出自だと言った瞬間からいわれなき差別に遭ってしまう、しかしそれを乗り越えていくという話なんですが、今日においてもやっぱりそういうところは非常に重要なところだと思います。
例えば、その一番典型例が、今日この審議をするのに当たりまして、もう一度改めて島崎藤村の「破戒」という、この本を私読み直したわけなんです。これは皆さん方も御存じの小説であります。信州の片田舎の中で、同和出身者の青年の苦悩、自分がその部落民だということを隠して生きてきたけれども、それを絶対隠しておけよというふうに戒めを父に言われていたと、その戒めを破ったわけですね。
もっと言いますと、例えば島崎藤村の千曲川旅情で有名な千曲川というのがあるんですね。その本川を例にとれば、源流は川上村からなんですが、上田市というところの大屋橋までが県の管理なんですね。まあ上流だから、それはあれなんでしょうけれども、上田の大屋橋から飯山市の湯滝橋というところまで八十八キロぐらいあるんですけれども、これは国の管理なんですね。
実例として、ここでは島崎藤村とか樋口一葉とか書いてある。島崎藤村だと、島が三千八百、崎が三千四百五十一、藤村の藤が七千八百五十四、村が八千六百十八という実例が書いてあるんですね。このように漢字氏名を数字符号化、一度したというんです。これが五千四百万件あるんですね。 ところが、これを昭和五十年代に仮名文字に置き換えたわけです。
私は、岐阜県中津川市という本当に山里の、島崎藤村の生誕地の長野県山口村との合併でちょっと全国的にも有名になりました、山里の、合併によって八万人ぐらいになったところの、ゼロから二歳児までの、三歳未満児専門の保育園の園長をしております下條と申します。
この日本ペンクラブ、大臣おっしゃったとおりで、ペンを持って立つ方々の会なんですが、歴代会長さんを見ると、初代が島崎藤村さんがやられている。その後、正宗白鳥さん、志賀直哉さん、川端康成さん、井上靖さん、遠藤周作さん、大岡信さん、梅原猛さん、そして今、井上ひさしさんがやられているという会ですね。
代表的なものだけ挙げても、伊藤博文、大隈重信、山県有朋、陸奥宗光、岩崎弥太郎、安田善次郎、島崎藤村、ずっと挙がっていきます。
大臣が先ほど御答弁でおっしゃいました、島崎藤村が勉強したあの小学校が何で残せないんですか。そういうようなことを私どもはやはりやってもらいたいな、こう思うわけでありまして、何を聞いているのかわからなくなっちゃって済みません。失礼しました。申しわけありません。
文豪島崎藤村の生誕地であり、馬籠宿として古い町並みを残す木曽郡山口村は、小学校の全面改装に当たり、古い町並みと学校周辺の豊かな自然に調和した、木の香りとぬくもりにあふれた木造校舎を建設しました。地域のシンボルとなる公共施設に木材を使用することは、利用者に対して木造建築の心地よさと快適な環境を提供するとともに、木材のすぐれた特性に対する地域住民の理解を深め、木材利用を推進する上で効果的です。
これは、島崎藤村の「夜明け前」の冒頭の一節であります。 本日、私は、皆様の御賛同をいただき、議員一同を代表して、故村沢牧先生の御霊に、謹んで哀悼の言葉を申し述べます。
実は、きょう質問に立つについて、私、青春時代、戦時中でございますが、この同和問題というものに初めて目を開かれた島崎藤村の「破戒」というのを読み直してみました、どういう筋だったのかなと。
○栗原(博)委員 私は、実は今岸本先生の同和問題についての質疑を聞いておりまして、若いころ島崎藤村の「破戒」を読みましてやはり差別に対して目覚めて、政治の道も求めてまいったわけでありますが、ただいまの質疑の中で大変感嘆するものがございました。 さて、今回のこの人権擁護法ですか、この法律は憲法の原理原則等を記してあるわけですが、この法律は一つの政策法として大変意義があると私は思っています。
総理は、五月十日の所信表明演説で、「私の出身地信州の文豪、島崎藤村が郷里、馬籠で語った中に「血につながるふるさと、心につながるふるさと、言葉につながるふるさと」という味わい深い言葉があります。私はかねてこの言葉を言いかえまして、「血につながる政治、心につながる政治、普通の言葉の通じる政治」を心がけてまいりました。」「普通の言葉で率直に議論し、」とあります。
私の出身地信州の文豪、島崎藤村が郷里、馬籠で語った中に、「血につながるふるさと、心につながるふるさと、言葉につながるふるさと」という味わい深い言葉があります。私はかねてこの言葉を言いかえ、「血につながる政治、心につながる政治、普通の言葉の通じる政治」、これを心がけてまいりました。
(拍手) 私の出身地信州の文豪、島崎藤村が郷里、馬籠で語った中に「血につながるふるさと、心につながるふるさと、言葉につながるふるさと」という味わい深い言葉があります。私はかねてこの言葉を言いかえまして、「血につながる政治、心につながる政治、普通の言葉の通じる政治」を心がけてまいり幸した。
ちなみに、私は山が大好きですからよく長野の山には登ってまいりましたし、私の父も長野の出身で、実は私ごとを申して失礼ですが、私のワイフも長野でとれたということで、戦時中は長野に疎開していたという、言ってみれば第二のふるさとということで、島崎藤村が大好きということで、我がことのように長野オリンピックに関心を持っておりましたのでいろいろ御質問申し上げました。ありがとうございました。
島崎藤村の「破戒」を読んでも、不思議だなと、よくわからないようなところがあったわけであります。
千曲川は、御存じのように詩情豊かな川として知られておりますけれども、その豊かな自然の残る千曲川も、それは同時に弱小堤防や無堤防地域が多く残っていることもあらわしているわけでありまして、とりわけ島崎藤村の有名な「千曲川のスケッチ」に描かれました立ケ花橋下流地域の無堤地域につきましては、速やかな整備が求められております。これらの改修の方針並びに見通しをお聞きいたしたいと存じます。
島崎藤村が「破戒」を世に送ったのが大体一世紀前のことでございます。その物語はしかし過去の物語ではなく、今もその物語が現に現世に生きているということを、私は政治家の一人としてなお恥ずかしく思います。大臣は、これらの問題の解決のためにどのような決意をお持ちになっておるか、ぜひ強い決意をお示しをいただきたいと思います。
たまたまこの間の連休中、私は島崎藤村の「新生」という小説を読みました。その中で島崎藤村は書いております。これは明治のことでありますが、中国の留学生に対して日本が非常に冷淡であった、彼らが日本から帰っては皆反日になる、この留学生対策は失敗であったということを島崎藤村は書いているのであります。今来ている三万人の諸君が日本に好意を持って帰るかそれとも反日になって帰るかということは大問題であります。